バスを降りると、潮の香りと土の匂いが混じった風が、ふわりと頬を撫でていきました。
「旅は一期一会」。
その言葉の通り、一度きりの出会いや風景が、私たちの人生を豊かにしてくれるのは間違いありません。
けれど、もし「何度も同じ場所へ通う旅」にこそ、一期一会の旅では見つけられない宝物が眠っているとしたら、あなたはどうしますか?
この記事は、きらびやかな観光地の紹介ではありません。
私がなぜ、新潟という場所に何度も何度も足を運び、その魅力に憑りつかれてしまったのか。
その理由を、私の個人的な新潟でのハイエンドな体験と物語を通してお話しする、少し長めの手紙のようなものです。
こんにちは、湊 梨花です。
かつて東京のデザイン事務所でWebデザイナーとして働いていた私は、心身ともに疲れ果てていた28歳の冬、衝動的に会社を辞め、カメラ一台を手に新潟の佐渡島へ移住しました。
あれから6年。
今ではすっかり、新潟の“日常”に隠された特別な“物語”を探す旅に夢中です。
この記事を読み終える頃、あなたの心の中にはきっと「自分だけの新潟の地図」が描かれ、次の週末、ふらりとこの地を訪れたくなっているはず。
そんな、少しだけ魔法のような時間をお約束します。
私が新潟に通い続ける「たった一つ」の理由
それは、土地に眠る「物語」に会いに行くため
私が新潟に通い続ける理由。
それは、とてもシンプルです。
この土地に眠る「物語」に、会いたくなるから。
それは、有名な観光スポットを巡るスタンプラリーのような旅ではありません。
目の前に広がる美しい風景。
その土地が重ねてきた歴史の記憶。
そして、そこで懸命に生きる人々の営み。
これら三つが、まるで美しいタペストリーのように織りなす「物語」に触れることこそが、私の旅の目的なのです。
新潟には、そんな血の通った物語が、訪れるたびに新しい顔を見せてくれるのを待っている。
だから私は、何度も同じ場所へと足を運んでしまうのです。
事例1:佐渡島 – 厳しい自然と人の温もりが醸す「島の物語」
「ブリ起こし」の雷鳴が告げる、冬の始まり
私の人生を変えた佐渡島。
その原風景は、今でも鮮明に覚えています。
東京の小さなアパートで偶然目にした、寒ブリ漁のドキュメンタリー。
画面越しに映る、荒れ狂う冬の日本海と、それに立ち向かう漁師たちの力強い眼差し。
「ブリ起こし」と呼ばれる、漁の到来を告げる雷の音が、私の心の扉を激しく叩きました。
「自分は今、ちゃんと“生きて”いるだろうか?」
その問いに導かれるように移住した佐渡で、私は本物の冬を体験しました。
海から叩きつける風は肌を切り、空は鉛色に沈む。
しかし、そんな厳しい自然の中でこそ、人の営みは力強く輝くのです。
港に戻った船から水揚げされる、銀色に輝く寒ブリ。
漁師たちの顔に刻まれた深い皺と、その奥にある安堵の表情。
それは、単なる「美味しい魚」という言葉だけでは到底表現できない、生命のやり取りそのものでした。
吹雪の夜、心まで温めてくれた「頑固者」のソーセージ
移住して間もない、ある吹雪の夜のこと。
寒さと心細さで凍えていた私を、地元の人が小さな居酒屋へ連れていってくれました。
そこで出されたのが、薪の香りがするソーセージと、小さなグラスに注がれた日本酒。
「へんじんもっこ、って言うんだよ。佐渡の言葉で、頑固者って意味さ」。
一口食べると、凝縮された肉の旨味とスパイスの香りが、口いっぱいに広がります。
すかさず地酒をくいっと呷ると、米の柔らかな甘みが、ソーセージの塩気と脂を優しく包み込む。
その瞬間、凍えた身体の芯が、じんわりと温まるのを感じました。
それは、単なる食事ではありませんでした。
佐渡の厳しい自然の中で、ドイツの伝統製法にこだわり続ける「頑固者」の情熱。
その情熱を、地元の酒が、人々が、優しく受け止めている。
この一皿と一杯に、佐渡という島の物語が凝縮されているように感じたのです。
「この感動を、まだ誰も知らない人に届けたい」
この強烈な使命感が、私の活動の原点となりました。
だから今でも、冬が近づくと、あの吹雪の夜の味に会いたくて、佐渡へ渡るのです。
事例2:燕三条 – 職人の魂が宿る「ものづくりの物語」
工場の音、油の匂い、磨き抜かれた金属の輝き
新潟の県央地域に位置する、燕三条エリア。
ここは、日本が世界に誇る「ものづくりの聖地」です。
年に一度開催される「工場の祭典」では、普段は固く閉ざされている工場の扉が開かれ、私たちを迎え入れてくれます。
一歩足を踏み入れると、そこは五感を刺激する別世界。
リズミカルに響き渡るプレスの音。
機械油と金属が混じり合った、独特の匂い。
職人の手によって磨き上げられ、まばゆい光を放つ金属製品の数々。
そこには、ショールームに並ぶ完成品からは決して感じることのできない、ものづくりの“体温”がありました。
火花を散らしながら金属を削る真剣な眼差し。
長年の経験に裏打ちされた、無駄のない美しい手つき。
その一つひとつが、雄弁に「燕三条の物語」を語りかけてくるのです。
一つの包丁に込められた、百年分の想い
ある包丁工房を取材した時のことです。
三代目の職人さんが、使い込まれた一本の金槌を手に、静かに語ってくれました。
「この槌は、俺のじいさんの代から使ってるもんだ。
これで叩くと、不思議と鉄が言うことを聞いてくれるんだて。
俺らが作ってるのは、ただの道具じゃねぇ。
使う人の暮らしの一部になる、相棒みてぇなもんだからな」。
その言葉を聞いた時、ハッとしました。
私が趣味で集めている、欠けた茶碗や古い徳利。
それらを金継ぎして使うたびに感じる愛着は、この職人さんの想いと繋がっているのかもしれない、と。
一つの道具の向こう側には、それを作り出した人の人生があり、何世代にもわたる技術の継承がある。
そう思うと、普段使っているスプーン一杯、包丁一本が、途端に愛おしい宝物のように思えてくるのです。
燕三条を旅して手に入れた道具を使うたびに、私の旅は日常の中でも続いていきます。
事例3:越後妻有 – 大地とアートが紡ぐ「里山の物語」
アートを道しるべに、里山を歩く
新潟の南部、信濃川が削り出した雄大な河岸段丘が広がる越後妻有(えちごつまり)地域。
ここは、3年に一度開催される「大地の芸術祭」の舞台です。
この芸術祭のコンセプトは、「人間は自然に内包される」。
美術館という閉じた箱の中にアートを飾るのではなく、広大な里山そのものをキャンバスに見立て、作品が点在しているのです。
棚田のあぜ道に佇むオブジェ。
廃校になった小学校を丸ごと使ったインスタレーション。
私たちは、それらのアート作品を道しるべに、まるで冒険するように里山を巡ります。
車を停め、自分の足で田んぼ道を歩くと、教科書でしか知らなかった「里山」の本当の姿が見えてきます。
風にそよぐ稲の音、鳥のさえずり、土の匂い。
そして、ふと顔を上げた先に現れるアート作品。
それは、自然の美しさを再発見させてくれる、驚きと感動に満ちた体験といえるでしょう。
「農舞台」で味わう、土地の恵みそのもの
芸術祭の拠点施設の一つ、まつだい「農舞台」。
ここのレストランで味わえる里山ビュッフェは、私が新潟で最も愛する食体験の一つです。
テーブルに並ぶのは、都会のレストランのような派手さはありません。
しかし、一つひとつに、この土地で生きる人々の知恵と愛情が詰まっています。
地元のお母さんたちが採ってきた山菜の天ぷら。
雪の下で甘みを蓄えた人参の煮物。
自家製の味噌を使った、滋味深いお味噌汁。
私のライフワークでもある発酵食づくりにも通じる、季節の恵みを余すことなくいただく文化。
それはまるで、大地そのものを味わっているような、深く、優しい味なのです。
この食事は、単に空腹を満たすものではありません。
厳しい冬を越すための保存食の知恵や、共同体で助け合ってきた人々の暮らしといった、この土地の物語を丸ごといただく、神聖な儀式のようなものなのです。
あなただけの「新潟の物語」を見つけるための小さなヒント
ここまで私の個人的な旅の話を続けてきましたが、最後に、あなたがあなただけの「新潟の物語」を見つけるための、ほんの小さなヒントをいくつかお伝えさせてください。
予定調和を壊してみる勇気を持つ
実は私、極度の方向音痴なんです。
最新のナビアプリを使っても、必ず一度は道に迷ってしまいます。
でも、そのおかげで予定外の絶景に出会ったり、面白い看板を掲げたお店を見つけたりすることがよくあります。
完璧な計画通りに進まない旅こそ、思いがけない物語との出会いを連れてきてくれるのです。
「買う」から「話す」へ視点を変えてみる
お土産屋さんや直売所で、ただ商品を買うだけではなく、お店の人に「これ、どうやって食べるのが一番美味しいですか?」と話しかけてみてください。
そこから、その土地ならではの食べ方や、生産者のこだわりなど、ガイドブックには載っていない物語が立ち上がってくるはずです。
温泉に浸かり、土地の声に耳を澄ます
温泉ソムリエの資格を持つ私から言わせれば、温泉はただ身体を癒やすだけの場所ではありません。
地元の人々が集い、情報交換をする大切なコミュニティの場でもあるのです。
湯船で交わされる何気ない会話に、そっと耳を傾けてみてください。
そこには、この土地のリアルな日常と、飾らない人々の本音が聞こえてくるかもしれません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
私がなぜ、新潟という場所に何度も通ってしまうのか、その理由が少しでも伝わっていたら嬉しいです。
- 旅の目的は、土地に眠る「物語」に会いに行くこと。
- 佐渡島には、厳しい自然と人の温もりが醸す物語がある。
- 燕三条には、職人の魂が宿るものづくりの物語がある。
- 越後妻有には、大地とアートが紡ぐ里山の物語がある。
- 道に迷い、人と話し、温泉に浸かることで、あなただけの物語は見つかる。
新潟は、決して派手な観光地ではないかもしれません。
しかし、この土地には、私たちが忘れかけていた、豊かで、深く、愛おしい物語が無数に眠っています。
だから、新潟の旅はやめられないのです。
次にこの土地で、あなただけの物語を見つけるのは、他の誰でもない、あなたかもしれません。